院長:木下卓のご紹介
院長よりメッセージ
当院では、医院の理念である「あふれる笑顔、輝く未来」を実現するため、メンテナンスによる予防中心の歯科医院を目指しています。
悪くなったところは、良質かつ最新の歯科治療で修復し、ストレスのない歯、噛める喜びを実現する。
そして修復した歯、健康な歯は定期検診や患者様ひとりひとりに合わせたセルフケア方法や食事のアドバイスを行うことによって守り続けたいと願っています。
歯科医師はもちろん、スタッフ全員が歯科医療のプロフェッショナルとして、皆様の健康と豊かな人生、笑顔、そして輝く未来を実現するお手伝いをいたします。
ブログ:ドクターKのきままブログ3
紹介動画
プロフィール
略歴 |
茨城県ひたちなか市出身
神奈川歯科大学歯学部卒 神奈川歯科大学矯正学修了 |
---|---|
趣味 | パソコン・温泉・ドライブ |
動物占い | 強い意志を持った子鹿 |
所属学会 研修会実績 |
日本矯正歯科学会所属 茨木インプラント研究所所属 カムログインプラントセミナー修了 YAGレーザーセミナー修了 GF非抜歯矯正治療セミナー ※他多数 |
さらに木下卓の素顔を知っていたくために
高度経済成長期の昭和44年、勝田市(現ひたちなか市)で誕生しました。
幼少の頃は表町という商店街で祖父がお茶屋をしていましたので、そのお茶屋の横で両親と暮らしていました。
両親は会計事務所を営んでおり、事務所兼住まいだった表町のその家で5歳まで過ごしました。なんでも狭いところが大好きだったようで茶箪笥の引き出しの中がお気に入りの場所でよくその中に入って寝ていたとのことです。
その後、事務所移転のため今の実家である笹野町に引越しましたが、現在開業している勝田は私の生まれ育った故郷として、思い入れの深い町です。
わんぱく少年だった小学生時代
小学校は4年生まで東石川小学校、5年になると長堀小学校が新設されたためそちらに卒業まで通いました。
今の私しかご存じない方にからは驚かれますが、小学生時代はとにかくやんちゃで授業中も騒いで、先生に相当な迷惑をかけているような少年でした。
授業参観などでもそんな調子でいたものですから、父親から授業中ガツーンとげんこつをもらった記憶があります。
また、小学生時代には、父の勧めでスピードスケートに週3~4回通っていました。しかし、運動があまり得意でない私にとっては、寒いリンクにタイムを上げるために通うことは苦痛でした。
スケート場に行かずに本屋で時間をつぶしたりしたことも何度もありました。入賞した記憶はまったくと言っていいほどありません。結局スケートは小学6年まで続け、中学に上がるのを機に引退しました。
教育熱心な父と中学受験
父は教育に対して非常に熱心で、将来は会計事務所を継いでもらいたかったようです。そのため、中学にあがるとき私立の中学を半ば強制的に受験させられました。
合格したものの、仲の良い友達と離れてしまうことが嫌で断固私立行きを拒否。結局地元の勝田市立第一中学(一中)に通うことになりました。
チームワークを学んだ中学生時代
中学では、友人に誘われバスケットボール部に入部。
練習は辛かったのですがそこでできた仲間は同じ汗をかきあった同志と強固な絆が生まれたと思います。あの頃にチームワークの大切さと喜びを学んだのだと思います。
これは現在、歯科医院においてのチーム作りにも大いに活かされていると思います。
ただ、一生懸命練習をしましたがレギュラーになることはできず、ずっとベンチウォーマー。しかし、仲間と汗を流した3年間は忘れがたい思い出となりました。
歯科医師を志した高校時代と父の反対
歯科医師になろうと思ったのは高校3年生の時でした。妹が、歯並びの悪さを気にしているのを見て、矯正医に興味を持ったのです。
また、当時から手先が器用で、細かい作業が結構好きだったこと、そして直接人の健康に貢献でき、やりがいを持てる仕事と感じたことも理由でした。
自分の職を継いでもらいたい父は、歯科医師を目指すことに猛反対でした。しかし、中学受験の際と同じよう、最後は自分の意志を貫き、父を説得して歯科大学に進むことができたのです。
遊び惚け、挫折を味わった大学時代
大学は神奈川歯科大学に入学しました。しかし、1年目でいきなりの挫折が訪れます。
私は入学後、すぐ専門的な勉強が始まると勝手に思い込んでいました。ところが1~2年は基礎科目の勉強で、数学、英語、物理、生物など、一見歯科にまったく関係ない科目から始まりました。
「期待はずれだなぁ」と思ってしまったこと、そして初めての1人暮らしで得た開放感で次第に遊び中心の生活になっていきました。
勉強もせず遊んでばかり・・・。その結果、気がつくと進級試験は赤点の山で、なんと2年生に上がることができませんでした。
これには父はもちろん大激怒。「大学を辞めさせて後を継がせる!」という騒ぎが再燃してしまったのです。
父の怒りに触れ、そして再度「なぜ自分は歯科医師になりたいのか」ということを見つめ直しました。
「親に多額の学費を払ってもらっておいてなんで遊びにうつつをぬかしてしまったんだろう」
激しく後悔し、自分を責めました。そしてもう一度チャンスをもらえないかと親に懇願したのです。
そして父から、チャンスを与える代わりに“ある条件”が出されました。
父からの課題・・・涙を流した『地獄の特訓』
父からの条件は富士宮にある管理者養成学校のビジネスマン養成コースを落第することなく無事やり遂げられたら歯科大学通学を続けてもよいというものでした。
「なんだそんなことか。楽勝楽勝」
とタカをくくっていたのですが、それが俗に「地獄の訓練」と言われるものと知ったのは、そこに入所してからでした。
まるで軍隊。鬼のような教官の下、大声で叫び続けるのは当たりまえ。早朝からハードな運動や演習、課題をこなし、夜には疲れ果てて崩れ落ちて寝る毎日。
本当につらかった。涙しました。
しかし、そこで何事にも一生懸命やることの重要性や、仲間との協調性の大切さを学ぶことができました。今では本当に良い経験だったと思えます。
参加している時には、父を恨みました。しかし、今ではあの辛い試練を与えたことが、子供への愛情だったのだと理解できますし、心から感謝しています。
そして、「地獄の訓練」をなんとか無事終えることができ、歯科大学も続けることができることになりました。
大学で1年生をやりなおし、学業と弓道に熱中
大学に無事戻ることができた私は、弓道部に入りました。きっかけは、きれいなお姉さんに誘われたから(笑)。
動機は不純でしたが一度足を踏み入れると弓道という世界はなんとも奥深くすっかりのめりこんでしまいました。
弓道とはいわゆる日本の弓でアーチェリーのように標準がついてるわけでもなく、ただの竹の弓を射り的に当てるというものですが、そこに精神的な要素が非常にウエイトを占める競技でもあります。
心が乱れていると的に当たりません。もちろん練習によって上達しますが常に精神面の安定や強さを求められます。それゆえちょっとのことでは動じない精神が少しは身についたかなと思います。
神奈川歯科大学の弓道部はその当時は弱小チームでしたが、それでもそのチームでひとつの勝利というものをみんなで目指し、成し遂げたときの感動は今でも忘れません。
卒業してから弓に触る機会はめっきり減ってしまいましたがまた機会があればはじめたいと思っています。
神奈川歯科大学矯正学教室の研修医時代
歯科大学では矯正(歯並び治療)については、授業はあるものの技術的なものはまったくと言っていいほど学ぶことはできません。そのため、矯正治療の技術を身に付けるには卒業後に新たに学ぶ必要があります。
矯正治療も身につけたいと思っていた私は、大学卒業後、母校である神奈川歯科大学の矯正学教室に入局し、研修医として大学病院に通って勉強させていただきました。
この研修医時代が、学生時代の中では一番集中して勉強しました。朝7時半に出勤し、夜は日によっては夜中2時近くまで患者様の治療の分析や勉強会・検討会をしていました。
それはそれで大変ではありましたが、歯科医師として力をつけることが、大きなやりがいになっており、夢中になって学ぶことが出来ました。おかげで、今でも矯正治療は自信を持って行える治療の1つとなっています。
開業医としての心構え・スキルを学んだ勤務医時代
研修医の終了後は、非常勤として大学病院へ通いながら横浜の一般開業歯科医院で5年間、一般治療と矯正治療を行っていました。
その医院は歯科医師約10名、歯科衛生士約20名という大型歯科医院でインプラントも行っており、院長先生や先輩ドクターからも心構えから、スキルまで学ぶことが多かったです。
逆にスタッフが多いことによる派閥抗争や、院長に対する反発などの裏の面も垣間見ることになり、自分が院長になったときにはこういう悪い面をもたない医院を作りたいと思いました。
2件目の勤務先は地元ひたちなか市の隣の水戸市にある、大学の先輩の開業する歯科医院に2年間勤務しました。
予約制が常識と思っていたわたしはこの医院が予約なしで行っていると聞いてびっくりしました。しかし、院長の「いつでもすぐ診てあげたい」という理念に共感し、短い期間ですがそれにたずさわることができ幸せに思っています。
ひたちなか市できのした歯科として開業するに当たってこちらの先生のいろいろなお話、アドバイスをいただき無事立ち上げることができましたことを感謝しております。
理想の歯科医院を目指して開業!
平成15年4月にひたちなか市長堀町というまさに生まれ育った地元に、一般歯科・小児歯科・矯正歯科として、きのした歯科を開業しました。
なぜ人は歯医者が嫌いなんだろうと考えたとき、「痛い、怖い、不安」というマイナスなイメージが非常に強い場所であると思います。
それが「痛くない、楽しい、ワクワク」というプラスのイメージの歯科医院が作れれば人は自ら進んで足を運んでもらえるのではないかという思いから医院のつくりや診療システムを考えました。
医院のつくりとしてはなるべく冷たい歯科医院を意識させない暖かなカフェのようなイメージでリラックスして過ごせる空間を考えました。
パソコンと同じで、いくらハード(建物)をよくしてもソフト(人)が良くなければそれはきちんと機能しません。
極力痛くない治療、しっかりしたご説明をして不安や恐怖をなくして差し上げる、メンバー全員が笑顔で暖かく応対するといったソフトの面も力を入れる必要があると思っています。
まだまだ発展途中ですが私たちメンバーはもとより患者様さえも笑顔があふれる医院づくりを目指して努力しているところです。
PageTOP ▲